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西川治の絵日記

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2011年 09月 16日

西川治 油絵展お知らせ002

西川治・油絵展「カラー、カラー」


西川治 油絵展お知らせ002_c0047466_13434270.jpg


2011年9月17日(土)〜10月2日(日)
いよいよ明日からです!


場所「B-gallery」
代表:長はるこ
住所・・・〒171-0021東京都豊島区西池袋2-31-6
自由学園明日館(20世紀三大建築家の一人フランク・ロイド・ライトの設計した重要文化財)西隣

Tel&Fax 03-3989-8608
開廊・休廊のご案内
開廊・・・14時〜18時 第3金曜〜21時
休廊・・・月曜・祝日
初日2011年9月17日(土)18時〜作家手作り料理でオープニング・パーティ
ぜひお立ち寄りください。
西川治 油絵展お知らせ002_c0047466_13392232.jpg
西川治 油絵展お知らせ002_c0047466_13452559.jpg


# by miao7 | 2011-09-16 13:21 | 油絵
2011年 09月 06日

西川治・油絵展のお知らせ001

西川治・油絵展のお知らせ001_c0047466_1614714.jpg 花はうつくしいというのだが、一度もそう感じたことはない。
 花というものは、子孫を残すために昆虫を誘惑しなくてはならない。だから戦略的に、どうもおしつけがましい。
 花を見ていると鬱陶しくなる。しかし花の中でどうにか好きなのは、カラーと、アザミだ。
 絵を描きはじめたときに、最初にえがいたのが那須の野原に咲いていたアザミを描いた。その絵が数枚ある。その後花は描いていない。しかしその後はカラーだった。
 カラーの茎の長さと、白いアンバランスな白い花弁がいい。それに花びらの白さがいい。今回の個展では、カラーを出すつもりである。

西川治・油絵展「カラー、カラー」
2011年9月17日(土)〜10月2日(日)
西川治・油絵展のお知らせ001_c0047466_16134342.jpg

場所「B-gallery」
代表:長はるこ
住所・・・〒171-0021東京都豊島区西池袋2-31-6
自由学園明日館(20世紀三大建築家の一人フランク・ロイド・ライトの設計した重要文化財)西隣

Tel&Fax 03-3989-8608
開廊・休廊のご案内
開廊・・・14時〜18時 第3金曜〜21時
休廊・・・月曜・祝日
初日2011年9月17日(土)18時〜作家手作り料理でオープニング・パーティ
ぜひお立ち寄りください。
西川治・油絵展のお知らせ001_c0047466_16255131.jpg


個展用の油絵はブログで更新していきます。

# by miao7 | 2011-09-06 15:51 | 油絵
2011年 07月 26日

NEWS TOKYO 都政新聞 インタビュー記事

2011年7月20日号 TOP Interviewに掲載されました。
(NEWS TOKYO 都政新聞)
自分にとって大切な魂の軌跡は心の中に残っている 
写真家、文筆家、画家 西川 治
NEWS TOKYO 都政新聞 インタビュー記事_c0047466_10492373.jpg
サハラ砂漠の朝。山羊が放牧され、枯れ草を食べにでかけるのを撮影。


絵を描くことはアクション
発散できるから楽しい

——写真家としてだけでなく、文筆家、画家としてもご活躍ですが、やってて楽しいのは何ですか?
西川 絵かな。文章っていうのは集中して、脳みその中にどんどん自分を追い込んでいくから、書き終わっても脳みその中に何か残っている。もちろん絵を描いている時も集中しますが、ある意味では途中であってもふんぎれるんですが、文章は途中だったらその続きを考えてしまう。そういう状態が続いてると、落ち込むというか、人と話したくもなくなるんだよね。でも、絵っていうのは「わぁ終わった」という感じで発散できる。アクション・ペインティングというのがあるように、アクションなんだね。
——絵は50歳から始めたということですが、きっかけは?
西川 20年くらい前、子どもがまだ小さかった頃の夏休みに那須の家に行ったんです。その年は雨が多かったのかな、外に出られなくて退屈してたんですね。その時、たまたま写真の小道具として使ったカンバスと絵の具があって、子どもと一緒に絵を描いてみたら面白かった! 2、3日後には事務所の男の子に電話して、カンバスと絵の具を買ってきてくれと頼んでいました。だから、本当に偶然。雨が降ってなかったら、カンバスや絵の具がなかったら、まず絵の分野はなかったですね。
——たまたま電子ピアノとかがあったらそっちの世界に行っていたかも?
西川 音楽を聴くのは好きだけど、演奏するのは苦手ですね。やっぱり写真をやっていたので、絵のほうがとっつきやすかったんでしょう。写真と絵はまったく別なものだけど、ある部分では血縁関係ですからね。
 ある画家の方から「西川さんは構図とかが身についているね」と言われて、なるほどなぁと思いました。写真を撮る時はひとつのレンズを通してじっと見て、その中で構図を考え、撮ったらどうなるかということを計算しますから、無意識のうちに身についていたんでしょうね。だから、カンバスの空間とフィルムの空間はほとんど同じ。いきなり絵にいったらまた違った絵になっていたでしょう
——実物は見ないで描くとか。
西川 ほとんど見ないね。見て描くとね、どうしてもものに引きずられるといか、似せて描こうとしてしまう。例えば、カバンが目の前にあれば、そのしわとかいろんなものが目に入りますから、描いちゃいますよね。だけど自分の中のイメージでカバンを描けば、そのほうがカバンらしいことがあるんですよ。
 リアリズムに徹して写真よりもリアリスティックな絵を描く人もいますが、中途半端なリアリズムだったら、実物のほうが美しいし、実物より美しいのは、実物を超えるか、その手前のどっちかだと思います。
——息子さんの絵や自画像はけっこう描かれていますが、奥様は描かないんですか?
西川 絵を描き始めた頃1枚2枚描いたけど、40年も一緒にいると面と向かうこと自体が恥ずかしいですね。
——自分の中のイメージで描くのですから、面と向かって描くわけではありませんでしょう。
西川 絵を描いている時はものすごく面と向かっているんだよ(笑)。


NEWS TOKYO 都政新聞 インタビュー記事_c0047466_1123630.jpg
モロッコで、歯磨きペーストのような甘い甘いミント・ティーと甘い甘いお菓子を・・・・

オーストラリアに半年いて
理屈っぽくなくなった


——早稲田の文学部をやめて、写真の道に進まれたのは何故ですか。
西川 授業がぜんぜん面白くなくなったの。今思えは最初は何だって面白くないのは当たり前。つまらない授業でも深く入っていけば、自分から面白くできるはずなんだよね。でも、当時は生意気だからさ。酒ばっかり飲んで、小難しい議論をしたりして、遊びほうけてた。卒業できそうにないし、どうしようかと思っていたら、週刊誌ブームがあったり、広告写真という仕事の間口も広がって、カメラマンが必要になってきたんです。
——写真との接点はあったのですか。
西川 高校の頃ちょっと写真をやっていて、賞を取ったりしてたんです。写真家になるつもりはなかったけど、大学に入ってカメラを買ってもらってボックスをのぞいていると、実に楽しいし美しいんだ。フィルムを入れなくてものぞいてたくらいで、それで写真の道に進もうと、1年くらいスタジオに入ってライティングとかを勉強しました。その後すぐにフリーの写真家の名刺を作って、それなりの仕事が来るようになりました。その頃カメラマンのギャラってものすごく良くて、サラリーマンの給料が2、3万円なのに、いきなり20数万もらいました。それで3年目くらいにオーストラリアに行ったのかな。
——オーストラリアを選んだ理由は?
西川 ヨットの写真を撮ろうと思って行ったんですよね。僕はね、クリスマスの前後って昔から嫌なことばっかりあるんですよ。冬の12月、憂鬱で、オーストラリアみたいな明るいところに行きたいなぁと思って行ったんです。
——何か変わりましたか。
西川 半年くらいいて理屈っぽくなくなりました(笑)。週末になると、カメラを何十kgも担いでハーバーからハーバーまで移動するわけですよ。オーストラリアはとにかく広いんでバスに乗るか歩くか。朝の暗いうちから、新宿から東京に行くくらいの距離は当たり前のように歩きましたね。とにかく体力勝負、ずうずうしくやっていくしかないと考えるようになりました。その時に出したのが「帆-sail-」という本で、今の石原都知事に序文を書いていただきました。
——ヨットからスタートして、ファッション、子ども、そして料理の写真へと移っていきますね。
西川 オーストライアからの帰りにトランジットで香港に寄ったんですが、無味乾燥な西洋料理を食べ続けた後でしょう。中国料理が本当に美味しくて、カメラも売り飛ばして1週間食べ続けました。それが料理に興味を持つきっかけかな(笑)
日本というのは面白いもので、子どもの写真を撮ると子ども写真家、料理の写真を撮るようになると料理写真家と、すぐに決めつけたがるけど、その時には、子ども写真家になろうとか、料理写真家になろうとか考えてませんよね。網だけはあちこちに仕掛けておいて、後で引き上げてみたら魚がいたというか。
今考えれば、若い頃はその時々にやりたいことをやっているように見えても、ある時期がくると、つながってくるということだね。だから、若い時は自分がやりたいことをやる。失敗っていうことはないんだよ。むちゃくちゃな旅行をしていても、そこから何か得ることはあるし、必ず自分の身になっているはずなんだ。

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コモ湖ほホテルの中庭で、イタリアのチーズを集め、さて、どう撮ろうかと思案中



ものを半分捨てると
死んだものが生き返る


——引越しをされたばかりということですが。
西川 10数年いて部屋が汚くなってきたのと、それにいろいろ捨てたかったから。引越しでもしないと、なかなか捨てられないでしょう。思い切って引っ越して、気分も変わってよかったです。
——何を捨てたんですか。
西川 紙類。資料とか昔の写真とか。終わったらその時に捨てればいいんだけど、ひょっとしたらと思ってとっておくことがよくあるんだ。その時は確かに大事だけど、今見るとごみ。ものを半分捨てるとすっきりして、死んだものが生き返るよね。
だから、3月11日の大地震ですごく揺れた時、この食器がみんな壊れたらよかったと思ったくらい。地震なら諦めがつくもん。
——今回の大震災では津波ですべてのものが流され、改めて形あるものの儚さを知らされました。
西川 大切なものをたくさんなくされたと思うけど、でも、後で考えたら大したものじゃないかもしれないですよ、僕の資料みたいにね。
もしも自分にとってものすごく大事な魂の軌跡みたいなものがあるとするならば、それは心の中に残っているはずなんです。ただ、それは自分の心の中だけのものだから、人に見せることはできない。形あるものなら人に見せることができるという意味で、ものの存在価値があるといことじゃないかな。
——より強く自分の心の中に残ったものがあるとするならば、ものはなくても語ることによってもっと強く相手に伝わるような気もします。
西川 やっぱり話してきかせるということは、心に伝わると思うね。
僕は満州生まれで、戦後7歳で引き上げてきたんです。1年くらい逃げ惑いながら、命からがら日本へ帰ってきた。酷寒の地で、食べるものもなく、途中で妹2人を亡くしました。親戚の叔母さんとかもね。本当に泣きたかったですよ。
被災地の人たちは本当に気の毒だと思うけど、原発の事故はひどいけど、津波はしょうがないよね。それは運命というか宿命としてしか受け止めようがない。僕だってたまたま満州で生まれたばっかりに大変な思いをしたし、東京にいたって空襲があったわけで、たまたま東北地方の沿岸部にいた。それを恨んでもしょうがない。人間なんて不条理の中で生きているんだよ。
——まったくそのとおりですね。
最後に世界中いろんな所に行かれて、一番好きな料理は何ですか。
西川 やっぱりその土地で、その土地の人が作った料理が一番おいしいと思う。だって、その土地の人が何千年何万年て生き延びて、繁栄しているといことは、その土地の最上のものを選択してきているわけでしょう。だから、日本のイタリア料理は確かにうまいけど、やっぱりイタリアで食ったほうが絶対に美味しいよ(笑)
(インタビュー/津久井 美智江)

# by miao7 | 2011-07-26 10:38
2011年 05月 17日

YOMIURI ONLINEに掲載されました

『世界ぐるっと肉食紀行』 西川治著
YOMIURI ONLINEに掲載されました_c0047466_1027165.jpg

 6章の各タイトルから、このエッセー集がどういう本かが伝わる。

 〈牛を食う〉〈豚を食う〉〈鶏を食う〉〈羊を食う〉〈内臓を食う〉〈あらゆる肉を食う〉。著者は〈犬の肉を食べるのは、罪なのか。鯨の肉を食べるのは、罪なのか〉と自問しながらも、食べることを避けることは食べ物の軽視につながると、世界中のあらゆる肉を食べ続ける。食に対し全身全霊を傾ける姿に感銘を受ける。(新潮文庫、590円)

(2011年3月28日  読売新聞)

# by miao7 | 2011-05-17 10:22 | book
2011年 03月 29日

「世界ぐるっとほろ酔い紀行」韓国語版 韓国で発刊

「ほろ酔い紀行」新潮社版が韓国語で翻訳され、3月22日に出版されました!
帯が韓国人の方が、書いておられるのですが、これは逆に韓国語から日本語になったものです。
「世界ぐるっとほろ酔い紀行」韓国語版 韓国で発刊_c0047466_1692641.jpg

表1
幸せな、世界の酒の味紀行
−日本最高の美飲家が語る「飲酒衝動」

西川 治 著
イ・ジョンファン 訳
プロフィール 専門翻訳家。慶煕大学校経営学科とインターカルト日本語学校を卒業, (株)リアト通
訳課長を務めた。主要訳書で 『孫正義 21世紀経営戦略』, 『徳川家康の人間経営』, 『織田信長のカリスマ経営』, 『敵を経営しなさい』, 『東京大学の学生たちは馬鹿になったのか』, 『用意した幸運』, 『免疫革命』など多数がある。

(翻訳原文)
表4
自由で素敵な人生への憧れ, 正しくそれだ
四歳の時初めてお酒を飲んで, 職業がカメラマンなのにカメラを売ってお酒を飲んで, ミラノに滞留したたった500日間おおよそ1400種のビーノ(イタリアワイン)を飲んだ人。焼酒とマッコリの味を韓国人よりもっと風情あるように描くおしゃれお爺さん。40年の間世の中のほとんどすべてのお酒を飲んだ男, 西川 治。あどけなさそのもので彼は本当の愛酒家だ。お酒に限り世の中で一番純粋な熱情を持った彼の話を読んだら, 胸の中から何かが強くつき上る。自由で素敵な人生への憧れ, 正しくそれだ。
−キム・ソンシン(出版評論家)

誰もこの本を一気に読むことはできないだろう
この大家の食べ物の批評は背中を真直ぐに立てるようにする。全世界を回りながら体験した味の新天地をそっくりそのまま私たちに伝える。食べ物の味の批評が流行だが, ブログに文を書きながら“すごい”と叫ぶしかないあなたなら, 西川さんの食べ物とお酒の接近法を学んでも良いろう。ギリシアのOuzoに添えるタコの料理, 雨降るベニスで飲むマーティーニ, 地上最悪の食べ物というスカンデ?ナビアンのにしんづけに毒酒アクァビトを添えた通快な味が絶妙なわけなどがわかる。人類文明の美しい所産である地域の食べ物とお酒に対する著者の暖かい視線がもっと胸にささる。誰もこの本を一気に読むことはできないだろう。ページをめくる度に沸き立つあなたの強烈な飲酒衝動をどうしたらいいだろう。
−パク・チャンイル(地中海太陽の料理家)

# by miao7 | 2011-03-29 10:32 | book


    


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